2022年度 第52回

JAPAN PROFESSIONAL SPORTS AWARDS
内閣総理大臣杯 大賞

内閣総理大臣杯 大賞

井上 尚弥いのうえなおや

プロボクシング
1993年4月10日生/神奈川県出身

井上尚弥は高校時代に史上初のアマチュア7冠を達成。2012年に大橋ジムでプロ転向を果たすと、2014年当時日本人男子最速となるデビュー6戦目での世界王座獲得。プロ8戦目には当時の世界最速となる2階級を制覇。2017年9月9日、待望の本場アメリカのリングに上がり、KOデビュー。2018年からはバンタム級に転級し、5月25日のWBA世界バンタム級タイトルマッチにおいて1R TKO勝利で当時国内最速プロ16戦目での3階級制覇を達成した。2022年12月、WBO世界バンタム級王者ポール・バトラーと対戦しKO勝利。この試合で新たにWBO王座を獲得、またWBA王座の8度目、WBC王座の1度目、IBF 王座の6度目の防衛にも成功し、ボクシング史上9人目、バンタム級及びアジア人として初の四団体統一王者となった。2023年1月、保持していたWBAスーパー・WBC・IBF・WBO世界バンタム級王座の返上と、スーパーバンタム級転向を発表した。日本ボクシング史上最高傑作との呼び声も高い『怪物~モンスター~』。

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殊勲賞・NHK賞

殊勲賞・NHK賞

国枝 慎吾くにえだ しんご

車いすテニス
1984年2月21日生/千葉県出身

9歳の頃、脊髄腫瘍を発病し車いす生活を送ることとなる。その2年後、母の勧めをきっかけに車いすテニスと出会う。当初はテニスよりも学校友人とバスケットボールを楽しむことに夢中であり、健常者の友人と共にスポーツを楽しむことで、現在最も武器となっている「車いす操作」を自然と身につけた。パラリンピックでは2004 年アテネ大会でのダブルス金メダル、2008年北京、2012年ロンドン、そして2021年東京ではシングルスで金メダルを獲得。「俺は最強だ!」を座右の銘に、車いすテニス界で圧倒的なポジションを確立。2022年には全豪、全仏に続き、2022年7月、ウィンブルドン選手権で悲願の初優勝を果たす。これにより、車いすテニス男子シングルスで初めて「生涯グランドスラム」および「生涯ゴールデンスラム」を達成。2023年1月、世界ランキング1位のまま現役引退を発表。

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殊勲賞

殊勲賞

大谷 翔平おおたに しょうへい

大リーグ
1994年7月5日生/岩手県出身

花巻東高校から2013年にドラフト1位で北海道日本ハムに入団。2014年には11勝、10本塁打で日本プロ野球史上初となる「2桁勝利・2桁本塁打」を達成。2015年には最多勝、最優秀防御率、最優秀勝利率の投手3冠を獲得。2016年には投手、指名打者両部門でのベストナインを受賞し、リーグMVPにも選出。チーム10年ぶりの日本一の原動力になった。2017年オフにポスティングシステムでのメジャー移籍を表明し、ロサンゼルス・エンゼルスへの入団が決定。1年目の2018年には投手として4勝、打者としても打率.285、22本塁打の活躍でア・リーグ最優秀新人に輝く。2021年には46本塁打、9勝2敗の成績を残し、ア・リーグの最優秀選手(MVP)に満票で選出。2022年8月9日には1918年のベーブ・ルース以来、104年ぶりの偉業となる「2桁勝利・2桁本塁打」を達成。同年10月5日、近代MLBで投手・打者の両方で規定回に達した初の選手となる。15勝9敗、打率.273、34本塁打、95打点。今年3月に開催される第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC) への参加を正式表明。2009年大会以来となる3度目の優勝に向け、活躍が期待される。

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殊勲賞

殊勲賞

村上 宗隆むらかみ むねたか

プロ野球
2000年2月2日生/熊本県出身

九州学院高等学校で高校通算52本塁打を放ち、2017年ドラフト1位指名を受け東京ヤクルトスワローズに入団。2018年9月に一軍昇格し、初打席で初本塁打を放つ。2019年、オールスターゲームに三塁手部門ファン投票1位で選出されホームラン競争にも出場。36本塁打、96打点を記録し新人王に輝く。2021年、プロ野球史上最年少(21歳7カ月)で通算100本塁打を達成。2022年5月の巨人戦では2試合連続の満塁ホームランを放ち、交流戦では打率.351、6本塁打、13打点の活躍によりMVPに輝く。7月31日の阪神戦から8月2日の中日戦にかけて、NPB史上初の5打席連続ホームランを記録。8月11日の広島戦では自身初かつ両リーグ最速の40本塁打を記録。22歳での40本塁打達成はNPB史上初。9月2日の中日戦に放った本塁打は、日本国籍の選手としては2002年松井秀喜以来20年ぶりのシーズン50本塁打となった。シーズン公式戦最終打席となった10月3日のDeNA戦第4打席に日本人登録選手及び左打者によるシーズン最多新記録の56号本塁打を達成。最終成績は打率.318(首位打者)、56本塁打(本塁打王)、134打点(打点王)で、NPB史上最年少となる22歳で令和初の三冠王を達成。2年連続のセ・リーグMVPに輝く。「村神様」は2022年の新語・流行語大賞の年間大賞にもなった。

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特別賞

特別賞

オリックス・バファローズ

プロ野球チーム

6年連続のBクラス、2年連続の最下位から迎えた2021年、開幕10連敗のパ・リーグ記録を喫するも、交流戦から見事な復活を成し遂げ、2014年以来のCS進出、勢いそのままにリーグ優勝に輝く。前年最下位の球団がリーグ優勝した前例は2001年の大阪近鉄バファローズ以来。日本一は惜しくも逃したが、山本由伸投手が最多勝利(18勝)・最優秀防御率・最多奪三振(2年連続)・最高勝率の投手4冠に輝く。沢村賞、ゴールデングラブ賞も受賞。打者では杉本裕太郎選手が32本塁打で初の本塁打王を獲得。2022年も序盤は低迷したが前年同様交流戦で復調。終盤、ソフトバンクにマジック「1」が点灯した状態で最終戦を迎え、オリックス・バファローズが楽天に逆転勝ちする一方で、ソフトバンクが敵地でロッテに逆転負けを喫し、最終成績が76勝65敗22分けとなった両球団が勝率で並んだが、直接対決で1 5 勝1 0 敗と勝ち越し、規定により、オリックス・バファローズが2年連続14回目のリーグ優勝を果たした。2年連続での顔合わせとなったヤクルトとの日本シリーズは2敗1分から4連勝を収め、1996年以来26年ぶりの日本一を達成。山本由伸投手は2年連続で投手4冠を受賞。

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特別賞

特別賞

森保 一もりやす はじめ

サッカー日本代表監督
1968年8月23日生/長崎県出身

2012年、サンフレッチェ広島トップチームの監督に就任。日本人元Jリーガー初、日本人新人監督としては2人目のJ1年間優勝を達成。2013年には史上4人目のJ1連覇を達成。2ステージ制が復活した2015年にもJ1制覇をする。2017年からはオリンピック代表の監督に就任。2018年のワールドカップ ロシア大会では西野朗監督の元、コーチとして帯同し、日本のベスト16進出に貢献した。ワールドカップ終了後、コーチから昇格する形でA代表の監督に就任。2021年のワールドカップ カタール大会アジア予選では、3戦で1勝2敗と危機的状況からの6連勝で2位となり、7大会連続7度目の本大会出場となった。2022年の本大会では、優勝候補のドイツ、スペインと同グループとなるも、歴史的勝利を挙げ、アジア勢としては初の2大会連続決勝トーナメントにグループ首位で進出した。ベスト16では惜しくもクロアチアにPK戦で敗れるも、2大会連続のベスト16という輝かしい結果を残した。日本サッカー協会は同年12月、森保監督の2026 年ワールドカップまでの続投を発表。ワールドカップで指揮を執った日本代表監督が大会後も続投するのは初。愛称は「ポイチ」。

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敢闘賞

敢闘賞

富田 宇宙とみた うちゅう

競泳:視覚障害クラス
1989年2月28日生/熊本県出身

高校2 年時に突如、失明に至る難病、網膜色素変性症が判明。大学時代は競技ダンスに打ち込み、4年次には競技ダンス部で主将を務め、12年ぶりとなる全日本学生選抜競技ダンス選手権大会に導いた。また同時期に、東京都視覚障がい者生活支援センターで音声読み上げソフトウェアを用いたパソコン操作のリハビリテーションを行い、東京都障がい者技能競技大会パソコン操作の部で金賞を獲得。一時期は水泳から離れたが、2012年にパラ水泳の世界へ。2017年、ジャパンパラ水泳競技大会で400m自由形の世界ランキング1 位の記録を出し、2018年にパンパシフィックパラ水泳選手権で金メダルを3 つ、同年のアジアパラ大会で金メダルと銀メダル、2019年に世界パラ選手権で男子400m自由形と男子100mバタフライの2 種目で銀メダルを獲得。東京2020大会競泳マルチメダリスト、ブラインドダンス日本チャンピオン。トップアスリートでありながら多様なバックグラウンドを持ち、多方面から共生社会の実現に向け発信を行っている。

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敢闘賞

敢闘賞

野尻 智紀のじり ともき

モータースポーツ
1989年9月15日生/茨城県出身

国内最高峰のフォーミュラカーレース「全日本スーパーフォーミュラ選手権」で2021年、2022年と2年連続でシリーズチャンピオンのタイトルを獲得。シリーズチャンピオンの連覇は、2013年に同シリーズがスタートして以来、初めての快挙といえる。野尻選手は、2014年から同シリーズに参戦しているが、最初のシーズンでシリーズ10位となり、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得。また、この年に日本プロスポーツ大賞の新人賞も獲得している。速さと強さを兼ね備えた国内屈指のトップドライバーと言える。

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敢闘賞

敢闘賞

平野 歩夢ひらの あゆむ

スノーボード
1998年11月29日生/新潟県出身

2014年ソチ、2018年平昌五輪ハーフパイプ男子で銀メダルを獲得。ソチ五輪での15歳74日でのメダル獲得は、スノーボードにおける最年少のオリンピックメダリストとしてギネス世界記録にも認定された。世界最高峰の大会「Winter X-GAMES」では、2016年、2018年に優勝、FISワールドカップでは通算3勝、2019年には、Forbes Japanの30 UNDER 30 JAPAN スポーツ部門に選出されるなど、名実ともに世界トップクラスのスノーボーダーである。2020年東京五輪で新たに正式種目に加わったスケートボード「パーク」種目で日本代表入りを果たす。2022年北京五輪では半年間で夏冬2回の五輪を目指す偉業に挑戦して金メダルを獲得。同年紫綬褒章を受章する。

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敢闘賞

敢闘賞

山下 美夢有やました みゆう

プロゴルフ
2001年8月2日生/大阪府出身

2021年「KKT杯バンテリンレディス」で2位に5打差をつけてツアー初優勝を飾る。2020-21年シーズンは獲得賞金が1億円を超え、賞金ランキング13位に入る。パーセーブ率は87.8553%で5位。リカバリー率にいたっては70.0127%で全体1位となった。2022年「ワールドレディスチャンピオンシップ サロンパスカップ」でメジャー初勝利。「ミヤギテレビ杯ダンロップ女子オープン」では、初日にパー72における1 8ホール最少ストローク『60』の新記録をマークするなどショットの好調を堅持。「伊藤園レディス」でシーズン4勝目を挙げ、21歳103日の史上最年少で年間女王を決めた。同年の最終戦「JLPGAツアーチャンピオンシップリコーカップ」も制す。2022シーズンは、メルセデス・ランキング3,441.28ポイント、年間獲得賞金は日本選手過去最高額となる235,020,967円の1位、また日本選手として初となる年間平均ストローク60台となる69.9714ストローク、トップ10入り回数21試合と記録ずくめのシーズンとなった。

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功労賞
文部科学大臣顕彰

坂口 征二

坂口 征二さかぐち せいじ


プロレスリング
1942年2月17日生/福岡県出身

選手として、団体幹部として、日本プロレス界の発展に長きにわたり貢献。現在も続いている1/4東京ドーム大会やG1クライマックスやベストオブザ・スーパージュニアなど人気興行のスタート。1995年10月9日には東京ドームでUWFインターナショナルとの対抗戦を始め、1997年には5大ドームツアーを開催。全日本プロレスやアメリカWCWとの大掛かりな交流戦なども実現。選手としての功績だけでなく、その人格から団体を問わず多くの選手に慕われ、アントニオ猪木さんの全面的なサポートをこなしながら、闘魂三銃士を始めとする後進の育成に尽力し、日本のプロレス業界の発展に寄与。新日本プロレスを50周年まで続く屋台骨をしっかりと支える。故アントニオ猪木氏と並び、新日本プロレスが昨年創業50周年を迎えるに至った最大の立役者である。

平 忠彦

平 忠彦たいら ただひこ


モーターサイクルスポーツ
1956年11月12日生/福島県出身

同人は1980年代に頭角を現し、当時の全日本選手権の最高峰クラスである500㏄クラスで1983年~1985年の間、前人未踏の3年連続チャンピオンを獲得。また、1982年公開の映画『汚れた英雄』では主役の走行シーンを担当、男性化粧品のCMに起用されるなど人気と実力を兼ね備えるトップライダーとして活躍した。現役引退後2007年から当協会の理事に就任。モーターサイクルスポーツの社会的認知を飛躍的に向上させ協会の発展に寄与した同人の功績は比類がない。

津田 雅彦

津田 雅彦つだ まさひこ


競技ダンス
1957年5月19日生/神奈川県出身

プロ現役選手引退後も10年以上世界で活躍された中川勲氏に師事し続け、イングリッシュスタイルダンスの魅力について探求し、JDCトップ選手達が集う軽井沢夏合宿(平成30年、令和4年)にコーチャーとして参加し、日本の選手が世界で活躍するために必要な要素をアドバイスするなど、プロ選手の育成に取り組んでいる。また、平成22年夏に開催された第5回全日本ブラインドダンス選手権大会から14回大会迄、実行委員長として、大会の発展に寄与。更にブラインドダンス普及活動として平成26年から八王子市のブラインドダンスサークルの指導を無料で引き受け、目が見えなくてもダンスは楽しめるということを多くの視覚障がい者に広めるなど、社会福祉活動に尽力されてきた。一方、ダンス競技会をよりメジャーなものに引き上げていく為には、観客や出場選手から見て、よりフェアで公正な審査が必要であるという観点から、審査員システムの改革に奮闘中である。

長谷見 昌弘

長谷見 昌弘はせみ まさひろ


モータースポーツ
1945年11月13日生/東京都出身

同人は、1965年に19歳で自動車メーカー専属のレーシングドライバーとしてレースデビュー。そのレースで初優勝したあと60年代から2000年まで、長年にわたり国内トップカテゴリーのレースに参戦し、多くの優勝と年間チャンピオンを獲得した。引退後の2001年からは自らのチームを率いて、監督として国内レースに参戦を続けた。2010年をもって自身のチームは参戦を休止したが、その後も若手ドライバーが参戦するカテゴリーのチーム監督に就任、2018年まで指導者として日本を代表する数多くのレーシングドライバーを育成した。また2013年から2016年まで国内四輪モータースポーツを統轄する一般社団法人日本自動車連盟(JAF)において、競技規則等を定める機関であるモータースポーツ審議会委員を歴任。日本のモータースポーツ黎明期から現在まで、同スポーツの人気向上と発展に大きく貢献した。

星野 一義

星野 一義ほしの かずよし


モータースポーツ
1947年7月1日生/静岡県出身

現役時代は全日本F2000選手権、全日本F2選手権、全日本F3000選手権等の国内トップフォーミュラだけでなく、全日本耐久選手権、全日本スポーツプロトタイプカー選手権、全日本ツーリングカー選手権等でチャンピオンを獲得し、参戦ドライバー、レースファン、メディアから「日本一速い男」と呼ばれるようになった。引退後は、自ら立ち上げたレーシングチーム「TEAM IMPUL」の監督として、自動車レースの国内最高峰カテゴリーの「全日本スーパーフォーミュラ選手権」や「スーパーGT」に参戦。次世代を担う若手ドライバーの育成に力を注ぎ、モータースポーツ振興に大きく貢献している。

武藤 敬司

武藤 敬司むとう けいじ


プロレスリング
1962年12月23日生/山梨県出身

業界を代表するスター選手として、60歳を迎える今年2月の引退試合まで第一線で活躍し続けた史上類を見ない存在。新日本プロレス、全日本プロレス、プロレスリング・ノアという国内3メジャー団体において、各団体の最高峰のベルトを奪取して選手としてトップに君臨。「グレート・ムタ」としても世界のプロレスファンを魅了し、アメリカのメジャー団体でも活躍。日本のプロレスが世界に通用するコンテンツとして成長を遂げるための重要な役割を担った。全日本プロレスやGENスポーツエンターテインメントの社長として、2003年1月にはエンターテイメントの要素を強く取り入れた「WRESTLE-1」の東京ドーム大会を開催。ZERO-ONEとの抗争や、ファッションブランドの「A BATHING APE」とのコラボ興行など様々な話題を提供し、プロレス業界をより活性化した。
© PRO WRESTLING NOAH

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