2024年度 第54回

JAPAN PROFESSIONAL SPORTS AWARDS

石破総理
日本プロスポーツ大賞授与式典
―令和7年1月29日―

さらに詳しい動画を
「政府広報オンライン」にて
ご視聴いただけます。
こちらからご覧ください。
「出典:政府広報オンライン

内閣総理大臣杯 大賞

内閣総理大臣杯 大賞

北口 榛花きたぐち はるか

やり投/陸上競技
[ 1998年3月16日生/北海道出身 ]

2018年11月、フィンランドでの国際講習会でチェコのジュニアコーチをしていたデイビッド・セケラックの指導方法に興味を持ち、単身チェコに渡って指導を受ける。2019年5月の木南道孝記念陸上競技大会では、64m36cmの日本新記録を樹立し優勝。2020年日本航空入社。2021年東京オリンピック出場、決勝まで進む。2022年7月に行われたオレゴン世界選手権大会では63m27cmを投げ、日本の陸上女子フィールド種目で戦前戦後を通してオリンピック・世界選手権で史上初となる銅メダルを獲得。2023年8月に行われた世界陸上ブダペスト選手権大会では、最終投てきで66m73cmをマークし逆転優勝。日本女子フィールド種目ではオリンピック、世界選手権を通して史上初の金メダルに輝き、2024年パリオリンピック日本代表にも内定。2024年に開催されたパリオリンピックの女子陸上やり投決勝では投てき1回目から65m80cmを記録。この記録により、女子フィールド種目では日本選手でオリンピック初のメダルとなる金メダルを獲得。オリンピックの陸上競技においての日本人による金メダル獲得は、2004年アテネオリンピックの室伏広治(男子ハンマー投げ)と野口みずき(女子マラソン)以来5大会ぶり、マラソン以外での陸上女子種目では史上初。金メダル獲得後の記者会見での 「ひとつ心残りがあるとすれば名言が残せなかったこと」という言葉がクローズアップされ、「名言が残せなかった」が2024年の新語・流行語大賞にノミネート、トップテンに選出された。

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殊勲賞・NHK賞

殊勲賞・NHK賞

小田 凱人おだ ときと

プロ車いすテニス
[ 2006年5月8日生/愛知県出身 ]

9歳のときに骨肉腫になり車いす生活に。10歳から車いすテニスを始めると、18歳以下世界No. 1決定戦「世界Jr.マスターズ」単複優勝、世界Jrランキング1位等、数々の偉業を最年少で達成。2021年には世界国別選手権BNP PARIBAS WORLD TEAM CUP ジュニアカテゴリで日本の初優勝に貢献し、シニア世界ランキングでも世界トップ10入りする等活躍。国際テニス連盟が選出する、結果だけでなくコート外におけるリーダーシップやスポーツマンシップの原則を体現している選手に贈られる「ITF車いすテニスジュニアオブザイヤー2021」も日本人として初めて授賞。2022年3月には、車いすテニス世界国別選手権、 「2022 BNP PARIBAS WORLD TEAM CUP」の男子日本代表に史上最年少の15歳10か月で選出され、5月の全仏オープンでは16歳23日でのグランドスラム史上最年少出場を達成しベスト4入り。更に、年間ランキング上位8名のみに出場が許される車いすテニス年間チャンピオン決定戦、 「NEC WHEELCHAIR SINGLES MASTERS」では、世界ランキング1位(当時)のアルフィー ・ヒュー エット選手を破っての大会史上最年少出場&優勝を同時に達成。2023年6月に開催された全仏オープンで優勝、グランドスラムを初制覇、17歳1ヵ月2日で制し史上最年少での世界ランク1位が確定。続く7月のウィンブルドンで初優勝し、グランドスラムを2大会連続で制覇した。2024年1月にメルボルンで行われた全豪オープンでは全試合ストレート勝ちで初優勝。更に、18歳で出場したパリ2024パラオリンピック球技大会では、ダブルスで銀メダル、シングルスではダブルスで敗戦したイギリスのアルフィー ・ヒューウェットと対戦し、フルセットの末勝利し、男子シングルス史上最年少の18歳での金メダルを獲得となった。

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殊勲賞

殊勲賞

井上 尚弥いのうえ なおや

プロボクシング
[ 1993年4月10日生/神奈川県出身 ]

井上尚弥は高校時代に史上初のアマチュア7冠を達成。2012年に大橋ジムでプロ転向を果たすと、2014年当時日本人男子最速となるデビュー6戦目での世界王座獲得。プロ8戦目には当時の世界最速となる2階級を制覇。2017年9月9日、待望の本場アメリカのリングに上がり、KOデビュー。2018年からはバンタム級に転級し、5月25日のWBA世界バンタム級タイトルマッチにおいて1R TKO 勝利で当時国内最速プロ16戦目での3階級制覇を達成した。2022年12月、WBO世界バンタム級王者ポール・バトラーと対戦しKO勝利。この試合で新たにWBO王座を獲得、またWBA王座の8度目、WBC王座の1度目、IBF王座の6度目の防衛にも成功し、ボクシング史上9人目、バンタム級及びアジア人として初の4団体統一王者となった。2023年7月、WBC·WBO世界スーパーバンタム級タイトルマッチで王者スティーブン・フルトンに8R TKOで勝利を収め、2冠奪取、4階級制覇を達成。同年、WBC年間最優秀選手賞にあたる「ファイト・オブ・ザ・イヤー」を2022年に続き、2年連続授賞。2024年5月、WBC世界ススーパーバンタム級1位のルイス・ ネリに6R TKO 勝利し、世界王座防衛に成功すると同時に、WBCダイヤモンド王座を獲得。同年9月、WBO世界Sバンタム級2位のドヘニーをTKOで下し、3度目のWBOとWBC王座、2度目のIBFとWBAスーパー王座の防衛に成功した。
日本ボクシング史上最高傑作との呼び声も高い『怪物~モンスター~』。

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殊勲賞

殊勲賞

阿部 一二三あべ ひふみ

男子柔道
[ 1997年8月9日生/兵庫県出身 ]

柔道を始めたのは6歳のときに観たテレビがきっかけ。中学に入学して頭角を現すと、2年次に全国中学校柔道大会55kg級で優勝、3年次には60kg級に出場し、オール一本勝ちで2階級制覇を達成。その後アジア・ジュニアユース選手権大会(17歳以下)60kg級でも優勝。高校進学後は、2013年、2014年の全日本カデ体重別選手権大会66kg級で2連覇。2014年11月には、講道館杯全日本体重別選手権大会66kg級で優勝。更に、2014年12月に東京で行われたグランドスラムでは男子史上最年少となる17歳118日で優勝するなど、国内外で次々とタイトルを獲得した。2016年、日本体育学会に進学。4月の選抜体重別で優勝を飾るも、リオデジャネイロオリンピック日本代表には選出されなかった。2016年12月に東京で行われたグランドスラム優勝を皮切りに、2017年2月(パリ)、 2017年12月(東京)、2019年11月(大阪)、2020年2月(デュッセルドルフ)で行われたグランドスラムで優勝を果たした。2021年には東京オリンピックの柔道66kg級で見事金メダルを獲得。妹の阿部詩選手も金メダルを獲得し、史上初のオリンピック兄妹同時優勝を果たした。その後も全日本選抜選手権大会、グランドスラム、世界選手権大会など数々の大会に出場し優勝。
2024年パリオリンピックでは前回東京大会に続き、金メダルを獲得、見事2連覇を果たした。

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特別賞

特別賞

横浜DeNAベイスターズよこはまディーエヌエーベイスターズ

横浜DeNAベイスターズが最後に日本一に輝いたのは、横浜ベイスターズ(旧球団名)時代、権藤監督のもと、マシンガン打線と大魔神佐々木を擁した26年前の1998年。その後は、5度のクライマックスシリーズ、1度の日本シリーズに進出するものの日本一はおろかリーグ優勝も果たせていなかった。2024年、4年目を迎えた三浦大輔監督は、若手からベテランまでチーム全体底上げとチーム内に復帰。チーム力底上げの結果、チーム打率はセ・リーグトップの0.256を記録し、更にチーム長打率、打点、安打数などの複数項目でセ・リーグ1位を記録。しかし、レギュラーシーズンの順位は3位となり、クライマックスシリーズ進出が決定。クライマックスシリーズでは、2位阪神タイガースを相手に2連勝をし、ファイナルステージ進出。ファイナルステージでは読売ジャイアンツに3連勝するがその後は2連敗。3勝3敗(読売ジャイアンツはレギュラーシーズン1位のためアドバンテージで1勝)で迎えた第6戦では、スコア3対2で逆転勝利、2017年以来7年ぶりの日本一シリーズ進出を果たす。奇しくも7年前と同カードとなった福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズは、横浜DeNAベイスターズが4勝2敗で見事1998年以来26年ぶり3度目の日本一に輝いた。リーグ3位からの日本一は2010年の千葉ロッテマリーンズ以来2回目、セ・リーグでは初となった。

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特別賞

特別賞

ヴィッセル神戸ヴィッセルこうべ

Jリーグ

クラブ史上初のリーグ優勝を果たした2023年。選手の大幅な入れ替えはあったが、チームの戦術は変えず吉田孝行監督3年目のシーズンが開幕した。アウェイでの開幕戦に勝利するも、続くホームでの第2戦に黒星を喫す。その後も勝ちきれない試合が続き、13節時点で首位に立つもその後は5位まで順位を落とした。昨季MVPを授賞した大迫選手への徹底マークもその一因だろう。今季はリーグ戦、カップ戦に加え、ACLE(旧ACL)も戦う過密日程となっていたが、シーズン前に加入した選手が機能し、後半戦は順位を上げていく。リーグ残り4試合となる第35節に再び首位に立つと、その勢いのままに11月の天皇杯ではガンバ大阪に1対0で勝利し、5大会ぶり2度目の優勝を飾る。リーグでは優勝決定が最終節までもつれたが、2位サンフレッチェで広島、3位町田ゼルビアが破れるなか、神戸はホームで迎えた湘南ベルマーレ戦に3対0で勝利し、見事2023年に続く連覇となった。リーグアウオーズでは、選手・監督投票で最多の166票を獲得した武藤嘉紀選手が最優秀選手賞(MVP)を授賞。シーズン13ゴール7アシストを記録した。ベストイレブンには11ゴール9アシストの大迫選手をはじめ、トゥーレル選手、武藤選手の3選手が選出された。

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特別賞

特別賞

パリ2024オリンピックパリ2024オリンピック
総合馬術競技団体そうごうばじゅつきょうぎだんたい

総合馬術競技

総合馬術とは、馬場の中で、馬のステップの正確さや動き・美しさなどを競う「馬場馬術」、丸太や池などの様々な障害物が設置されたコースで競う「クロスカントリー」、コースに設置された障害物を決められた順番通りに跳び越える「障害馬術」。この3種目の総合カを競う競技となり、同じ馬に騎乗して3日間かけて行われ、減点の合計で争われる。メンバーは大岩義明選手、戸本一真選手、北島隆三選手、リザーブとして田中利幸選手。東京オリンピック前からこの4人でチームを組んできた。成績が残せず1度は団体での出場が絶たれていたが、中国の馬から規制薬物が検出され、騎乗していた選手の成績が取り消されたため、日本の順位が繰り上がり、出場権獲得となった。2種目目の「クロスカントリー」を終えてメダル圏内の3位につけていたが、翌日の馬体検査で北島隆三選手の馬がクリアできず20点減点され、5位スタートで最後の種目「障害馬術」に臨んだ。北島選手に代わって出場した田中選手が1番手で登場し、安定した騎乗でわずかな減点に抑えるなど、その後も安定した騎乗で減点を最低限に抑え、見事銅メダルを獲得。日本が馬術でメダルを獲得したのは、1932年のロサンゼルス大会、個人種目で金メダルを獲得した西竹一さん以来92年ぶり、団体でメダル獲得したのは初。 選手の年齢が高いことから「初老ジャパン」の愛称で話題となり、2024年新語・流行語大賞のトップテンに選ばれました。

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最高新人賞

最高新人賞

岡 慎之助おか しんのすけ

男子体操
[ 2003年10月31日生/岡山県出身 ]

9名前の由来は、父親が読売巨人軍阿部慎之助現監督のようなスーパスターになってほしいという思いから「慎之助」と名付けられた。4歳のときに保育園の先生に逆上がりができたことを褒められたことをきっかけにおかやまジュニア体操スクールで体操を始める。2018年に全国中学校体操競技選手権大会では個人総合と種目別鉄棒で優勝。中学卒業後、2019年6月にハンガリ一行われた世界ジュニア体操競技選手権大会で個人総合・団体総合の二冠を達成。更に、種目別あん馬で銀メダル、平行棒で銅メダルを獲得した。しかし、2021年に東京オリンピックの予選を兼ねた全日本体操個人総合選手権で手首の負傷の影響で予選敗退。翌年の同大会では、種目別跳馬決勝で着地に失敗し、右膝前十字靭帯を断裂、全治8か月の大けがを負う。大けがを乗り越え、2023年にシンガポールで開催されたアジア体操競技選手権では個人総合で金メダル、団体総合・種目別平行棒・鉄棒で銀メダルを獲得し、復活を遂げる。2024年に行われた全日本選手権では個人総合2位、種目別平行棒で2位、ゆかで3位に輝く。更に、同年5月に行われたNHK杯では個人総合で初優勝を果たす。2大会の結果を受け、パリオリンピックに日本代表として出場することが内定。
8月のパリオリンピックでは、橋本大輝・萱和磨・杉野正尭・谷川航とともに男子団体総合で金メダルを獲得し、個人総合と鉄棒でも金メダルを獲得。さらに平行棒でも銅メダルを獲得。1大会3個の金メダルは、1972年のミュンヘンオリンピックの加藤澤男氏以来52年 ぶり、1大会4個のメダルは、1984年ロサンゼルスオリンピックの具志堅幸司の5個(金2、銀1、銅2)以来40年ぶりの快挙となった。

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新人賞

新人賞

大の里 泰輝おおのさと だいき

大相撲
[ 2000年6月7日生/石川県出身 ]

7歳のときに石川県河北郡の津幡町少年相撲教室相撲で始める。相撲に本気で取り組むべく、中学・高校と親元を離れ、新潟県にある糸魚川市立能生中学・高校へ進学。大学は日本体育大学へ進学。大学1年次には学生横綱、3年次にはアマチュア横綱となる。 2021年に行われた全日本相撲選手権で優勝し、アマチュア横綱の称号とともに大相撲の幕下十枚目格付出資格取得。2022年に行われた同大会では2年連続で優勝を果たす。2023年、二所ノ関部屋に入門。四股名は、「相撲の神様」と称される大正時代の大関・大ノ里萬助氏が由来となり、「大の里」と命名。デビュー場所の5月場所では6勝1敗、7月場所では4勝3敗と勝ち越し、9月場所の新十両昇進を決めた。2024年1月場所で新入幕が決定。11勝4敗の成績を収め、敢闘賞を授賞。続く3月場所でも優勝争いに絡むも11勝4敗となり、敢闘賞と技能賞を同時に授賞した。入幕から3場所目となる令和6年5月場所では12勝3敗で初の幕内最高優勝。併せて初の殊勲賞、2回目の技能賞を授賞。初土俵から7場所目、幕下付け出しでは、第54代横綱・輪島の15場所を大きく塗り替える史上最速の優勝となった。関協に昇進後2場所目となる9月場所には13勝2敗で2度目の幕内優勝に輝く。年6場所制度後、史上最速9場所で大関昇進を果たした。

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新人賞

新人賞

藤波 朱理ふじなみ あかり

女子レスリング
[ 2003年11月11日生/三重県出身 ]

1988年ソウル五輪代表候補だった父と兄の影響で4歳でレスリングを始める。中学校1年次にジュニアクイーンズカップンズカップ中学生の部40kg級で優勝。3年次には、アジア ・カデット選手権49kg、Ul5アジア選手権54kg、世界カデット選手権49kgでも優勝。2019年には父親がレスリング部監督を務める三重県立いなべ総合学園高等学校へ進学。1年次にはインターハイで優勝、2年次に全日本レスリング選手権大会優勝。3年次には全日本選抜選手権で初優勝を飾り、この優勝により75連勝を記録した。翌2021年の世界選手権53kg級では対戦相手に1ポイントも与えずに勝利し金メダルを獲得するなど、ジュニア年代から圧倒的な強さを誇る。大学は日本体育大学に進学。大学でも勝利を続け、連勝を100の大台に伸ばした。2023年6月には吉田沙保里がもっていた119連勝を超える122連勝となり、世界選手権の代表に内定。その世界選手権準々決勝では、世界ランキング1位であるエクアドルのルシアヤミレト・ジェペスグスマンを相手に2019年2月から記録していた連続無失点記録は途切れるものの、フォール勝ち。その勢いで世界選手権2度目の優勝を飾り、パリオリンピック代表に内定。2024年に行われたパリオリンピックでは、初出場で女子フリースタイル53kgで金メダルを獲得。中学時代より公式戦連勝記録を積み重ね、オリンピックの決勝の勝利により公式戦連勝記録は137連勝を達成。同年11月に紫綬褒章受章。現在139連勝まで伸ばし、2025年は階級を57kg級に変更する。

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新人賞

新人賞

岩佐 歩夢いわさ あゆむ

モータースポーツ
[ 2001年9月22日生/大阪府出身 ]

レーサ一家に生まれ、幼いころからカーレースに親しむ中、4歳で初めてカートに乗る。2014年「鈴鹿選手権シリーズカYAMAHA SSクラス」第2戦で初優勝を飾り総合7位で終える。2017年「鈴鹿選手権シリーズカートレースParilla X30クラス」でシリーズチャンピオンを果たす。2017年7月、上海インターナショナルサーキットで開催されたフォーミュラルノー・アジアカップでシングルシーターデビュー。2019年に「鈴鹿サーキットレーシングスクール(現ホンダ・レーシング・スクール・鈴鹿<HRS>)」を首席で卒業。2020年にフランスF4に参戦し、シリーズチャンピオンに輝く。翌2021年、Red Bullの育成プログラムである「Red Bull Junior Team」に加入し、FIA F3に参戦。2022年、FIA F2にステップアップを果たすと、年間優勝2回、FIA F2選手権シリーズ5位を獲得。翌2023年は、年間優勝3回、FIA F2選手権シリーズ4位という成績を収め、Fl参戦に必要なスーパーライセンス獲得条件をクリア。2024年はHondaのドライバー育成プログラムHFDPおよびRed Bullグループのドライバー育成プログラム「レッドブル・ジュニアチーム」のメンバーとして、Flへのステップアップを視野に、日本のフォーミュラカーレースの最高峰である全日本スーパージュニアフォーミュラ選手権(SF)に参戦。ポールポジション1回、決勝では2位3回と速さを見せたものの、優勝や目標としていたチャンピオンには届かず、今季でのリベンジを誓う。。

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新人賞

新人賞

竹田 麗央たけだ りお

女子プロゴルフ
[ 2003年4月2日生/熊本県出身 ]

母で元女子プロゴルファーの平瀬哲子の影響を受け6歳でゴルフを始める。叔母は元賞金女王の平瀬真由美。高校1年次に「第39回九州ジュニアゴルフ選手権競技15歳~17歳女子の部」で優勝。2021年、高校3年次では地元熊本で「KKT杯バンテリンレディスオープン」に出場し、山下美夢有、古江彩佳、小祝さくらなどのトッププロが出場する中4位に入賞。同9月「第54回日本女子オープンゴルフ選手権競技」では当時アマチュアであった川崎春花、尾関彩美悠との争いを制してローアマチュアを獲得した。2021年11月、プロテスト合格。2023年初シード入り。
プロ3年目の2024年4月、地元熊本で開催されたKKT杯バンテリンレディスで悲願の初優勝を飾る。この優勝を皮切りに、2024年はJLPGAツアーでシーズン8勝、LPGAツアーで1勝をあげ、賞金女王に輝く。獲得額は2億6573万0016円となり、2020、2021年に稲見萌寧が記録したシーズン最多額2億5519万2049円を更新した。この年竹田は『JLPGA Mercedes Benz Player of the year』(年間最優秀選手賞)、『賞金ランキング第1位』、『JLPGA栄誉賞』、メディア賞『ベストコメント』部門、『特別賞』(Hitachi 3Tours Championship JLPGAチーム)の5冠を達成した。

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功労賞

功労賞

大橋 悠依おおはし ゆい

女子競泳
[ 1995年10月18日生/滋賀県出身 ]

幼稚園の頃に姉の影響で水泳を始める。小学校3年生の時に50m背泳ぎでジュニアオリンピックに初出場。中学3年生の時に全国JOCジュニアオリンピックカップ夏季大会に出場し、200m個人メドレーで優勝を果たす。2014年、平井伯昌氏が水泳部監督を務める東洋大学に入学。大学4年生時に迎えた日本選手権では、400m個人メドレーで日本新記録(当時)を樹立。200m個人メドレーも制して2冠を達成。7月の世界水泳選手権日本代表に内定。ブタペストで行われた世界選手権では200m個人メドレーで日本新記録を記録し、日本競泳陣初となる銀メダルを獲得。2018年に行われたパンパシフィック選手権で200m個人メドレーと400m個人をいずれも制し、2冠を達成。2021年に行われた東京オリンピックでは、女子200m個人メドレー、400m個人メドレーにおいて金メダルを獲得、夏季オリンピックで日本人女子選手が同一大会で2つの金メダルを獲得したのは初。
2024年パリオリンピックでは200m個人メドレーで準決勝に進出。同年10月に現役引退を発表した。

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功労賞

功労賞

古賀 紗理那こが さりな

女子バレーボール
[ 1996年5月21日生/佐賀県出身 ]

中学、高校時代にバレーボールをしていた母親の影響で、小学校2年生のときに、姉とバレーボールを始める。当時は地元のバレーボールを教室でバレーをしていたが、強豪チームと対戦し完敗したことをきっかけに自らの意志でそのチームに入部。小学5、6年生の時には全日本バレーボール小学生大会へ出場。2011年に行われた全日本中学校バレーボール選手権大会で3位になり、優秀選手にも選出。同年12月のJOCジュニアオリンピックカップでは、JOC·JVAカップを授賞。中学入部時には166cmだった身長も、卒業時には180cmまで成長した。高校は姉が通う熊本の強豪校、熊本信愛女学院高校に進学。2012年10月、高校1年生ながらアジアユース選手権に出場し、日本の4連覇に貢献。大会MVPとベストスコアラー賞に選ばれる。2013年4月、高校2年の時に全日本メンバーに初選出。16歳という若さで全日本代表デビューを果たす。2015年にNECレッドロケッツに入団。Vリーグ3回優勝(2015、2017、2023、2024)、皇后杯2回優勝(2022、2023)に貢献し、2連覇達成の立役者としてチームを牽引。個人としても、Vリーグで3度の最高殊勲選手賞(MVP)、皇后杯で2度のMVPを授賞。日本代表としては、2021年のFIVBバレーボールネーションズリーグでは日本4位の快進撃の中心となり、東京オリンピック日本代表メンバーにも選出。2022年には日本代表の主将に就任し、2024年のFIVBバレーボールネーションズリーグで日本を準優勝に導く活躍を果たす。
2024年7月、キャプテンとして臨んだパリオリンピックでは9位に終わり、この大会を最後に現役引退を発表した 。

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功労賞

功労賞

坪井 翔つぼい しょう

モータースポーツ
[ 1995年5月21日生/埼玉県出身 ]

5歳でカートを始め、多くのタイトルを獲得。2011年にはフォーミュラトヨタ・レーシング・スクー ル(FTRS)を受講し、スカラシップを獲得。翌年にフォーミュラチャレンジ・ジャパン(FCJ)で4輪デビューし、2年目に初優勝。2014年はF4地方選手権で活躍し、再びFTRSスカラシップを得て翌年から始まったFIA F4選手権に参戦して初代王者となった。2016年はTD P(現TGR DC)のドライバーとして、全日本F3選手権を戦い、2018年には19戦17勝と圧倒してシリーズ制覇。SUPER GTには2017年にGT300クラスで2勝。2019年からはGT500クラスヘステップアップ。同年にはスーパーフォーミュラにCERUMO·INGINGより参戦し、翌2020年は2勝を挙げてランキング3位。2021年はSUPER GTのGT500クラスにはTGR TEAM au TOM'Sより関口雄飛と組みチャンピオンを獲得。2023年は自身がエースとなって宮田莉朋と共に3勝を挙げて、2度目のタイトルを手にした。
2024年は、SUPER GT GT500クラスシリーズを2023年につづき連覇。更に、スーパーフォーミュラシリーズチャンピオンになる。プライベートでは2022年12月にレーシングドライバーの斎藤愛未と結婚。 2024年7月富士スピードウェイでは、併催となったKYOJO CUPで斎藤が、スーパーフォーミュラで坪井がそれぞれ優勝。夫婦での週末制覇を達成し、「最速夫婦」として話題となる。坪井がSUPER GTとスーパーフォーミュラ、斎藤はKYOJO CUPでそれぞれ年間チャンピオンとなり、夫婦で3冠という殊勲を得た。

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敢闘賞

敢闘賞

早田 ひなはやた ひな

女子卓球
[ 2000年7月7日生/福岡県出身 ]

地元の名門石田卓球クラブで練習していた姉の影響を受けて、4歳より卓球を始める。普段は右利きだが、卓球では左打ち。小学2年生の時に全日本卓球バンビの部(2年生までの部)に出場し、全国大会デビューを果たす。2013年・2014年に行われた全国中学校卓球大会で2年連続優勝。更に、2014年にはITTF(国際卓球連盟)ワールドツアーチリオープンで決勝に進出し、当時の最年少記録を達成するなど、ジュニア時代から輝かしい成績をあげる。2016年高校進学後は全国高等学校選手権大会女子シングルスで高校1年生ながら優勝。同年、ITTFワールドツアーオーストラリアオープンでツアー初優勝。2018年から2020年にかけて伊藤美誠選手と組んだダブルスで全日本選手権3連覇。2021年の東京オリンピックでは代表メンバーに選出されず、リザーブとしてチームに帯同。本大会での出番はなかった。2023年の全日本選手権では、準決勝で石川佳純をストレートで破ると、決勝は木原美悠を逆転勝ちで下し、3大会ぶり2度目となる全日本の頂点に輝いた。また、シングルスだけでなく、伊藤美誠とペアを組んだ女子ダブルス、張本智和と組んだ混合ダブルスでも優勝を果たし、女子選手では史上4人目となる大会3冠を達成した。
2024年8月のパリオリンピックでは、団体戦決勝のダブルスで張本美和とペアを組み、銀メダルを獲得。シングルスでは準々決勝で 左前腕を負傷し、準決勝からは痛み止めとテーピングを施してのプレーとなったが、見事銅メダルを獲得した。現在のITTF卓球世界女子総合ランキングは、日本人最高の5位。

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敢闘賞

敢闘賞

角田 夏実つのだ なつみ

女子柔道
[ 1992年8月6日生/千葉県出身 ]

小学2年生の時に父の影響で柔道を始める。高校は強豪八千代高校に進学。2年時に全国高等学校総合体育大会に女子52kg級で出場し3位入賞。3年次には、全国高等学校選手権大会で同階級において5位に終わる。一度は柔道の道を辞めることも考えるが、顧問の勧めで東京学芸大学に進学。大学進学後は関節技、寝技の強化に努める。大学3年次には、全日本学生体重別の女子52kg級で自身初の優勝を果たす。社会人になった2016年12月には、グランドスラム東京女子52kg級に出場し、当時高校一年生だった阿部詩選手を腕挫十字固で破り、IJF(国際柔道連盟)ワールド柔道ツアーで初優勝を果たす。2019年に48kg級に階級を変更。11月の講道杯ではオール一本勝ちで52kg級に続く優勝を飾る。東京オリンピックの代表入りを目指すも代表選考に漏れ、引退を考えたが、2015年から角田を指導している今井優子コーチの説得により現役を続行。2021年・2022年・2023年の世界選手権大会では女子48kg級で優勝し、日本の女子選手では谷亮子、阿武教子に続いて3人目となる世界選手権3連覇を達成。6月の世界選手権でも3連覇を達成し、念願のパリオリンピック代表に内定した。
2024年7月のパリオリンピックでは、史上最年長となる31歳11ヶ月でオリンピック初優勝を飾り、女子48kg級の日本人選手としては2004年のアテネオリンピックの谷亮子以来20年ぶりとなる金メダルをもたらした。

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敢闘賞

敢闘賞

菅野 智之すがの ともゆき

プロ野球
[ 1989年10月11日生/神奈川県出身 ]

1995年10月、伯父である元読売巨人軍原辰徳の引退試合を観戦したことがきっかけで、本格的に野球を始める。中学校時代は最速124km/hを投げ、エースとしてチームを県大会優勝に導き、最終的に関東大会ベスト8まで進んだ。高校は強豪東海大相模高校へ進学。甲子園出場経験は叶わなかったが、最速148km/hを記録するなど日本プロ野球から注目を集める。2011年のドラフト会議では伯父の原辰徳が監督を務める読売ジャイアンツと北海道日本ハムファイターズが1位指名し、抽選の結果、日本ハムが交渉権を獲得したが、これを拒否し、大学へ進学。大学は、東海大学へ進学。大学時代の首都大学でのリーグの通算成績は37勝4敗、防御率0.57、347奪三振という驚異的な成績を収める。2012年、読売ジャイアンツから1位指名を受け、入団。2014年には、平成生まれ初の最優秀選手賞、および投手部門でのベストナインを授賞。2023年は4勝8敗に終わるが、2024年には15勝3敗という成績を収め、チームのリーグ優勝に貢献。
2024年12月、海外FA権を行使し、米大リーグのボルティモア・オリオールズに入団。

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敢闘賞

敢闘賞

上地 結衣かみじ ゆい

プロ車いすテニス
[ 1994年4月24日生/兵庫県出身 ]

先天性の潜在性二分脊椎症であったが、11歳で車いすテニスを始める。2012年、高校3年生でロンドン・パラリンピックに出場し、シングルス、ダブルスともにベスト8 進出。2014年の全仏オープンでグランドスラム、シングルス初優勝。また、同年の全米オープンでも優勝。同年5月には、初めて世界ランキング1位を記録した。ダブルスでは、日本人女子選手初となる年間グランドスラムを達成し、「女子車いすテニス最年少年間グランドスラム」のギネス記録に認定される。2016年、リオデジャネイロ・パラリンピックでは、シングル ス銅メダルを獲得。2017年には、全豪オープン、全仏オープン、全米オープンで優勝、シーズン終了時の世界ランク1位で年間王者が確定。2018年、スポーツのアカデミー賞と呼ばれるローレウススポーツ賞、障害者スポーツ部門ノミネート。アジアパラリンピックで優勝し、東京オリパラ通じ、内定第一号プレーヤーに。2021年の東京パラリンピックで自己最高位のシングルス銀メダル。
2024年パリパラリンピックでは、ダブルスで8連覇しているオランダに勝利し金メダル。シングルスでは東京大会の決勝戦で破れたオランダのディーデ・デ・グロートに雪辱の勝利を収め、車いすテニス女子シングルスで日本初の金メダルを獲得するとともにシングルス ・ダブルスで2 冠を達成した。

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功労者顕彰

勝田 照夫

勝田 照夫かつた てるお


モータースポーツ
[ 1943年9月2日生/愛知県出身 ]

選手として、全日本ラリー選手権ドライバー部門で年間チャンピオンを獲得、WRC世界ラリー選手権英国大会では日本人初のクラス優勝を果たした。また引退後は、後進育成とラリー競技振興に努め、指導者として日本を代表するラリードライバーを育成する一方、ラリー競技運営においては、地域活性化のモデルプランの確立や、国際大会の国内誘致にも尽力した。
そのほか、日本自動車連盟(JAF)において、JAFモータースポーツ部会委員を歴任する等、日本のモータースポーツの黎明期から現在までの普及と発展に貢献した。

中山 浩一

中山 浩一なかやま こういち


大相撲
[ 1957年4月26日生/三重県出身 ]

力士「琴風」として184センチ、168キロの体格を活かし、がぶり寄りで 世を風靡した。左ひざの負傷で関脇から葦下に落ちるも、不屈の闘志で復活し1981年には大関に昇進、二回の優勝を果たした。
1985年に力士を引退後は、尾車部屋の師匠として弟子の育成に力を注ぐ傍ら、日本相撲協会の理事を10年務め、事業部長として理事長を補佐した。そのほか、2020年車京オリンピック・パラリンピックの醸成事業として「大相撲beyond 2020場所」の開催で陣頭指揮を取る等、相撲界の発展に尽力した。
写真提供:共同通信社

成田 省造

成田 省造なりた しょうぞう


モーターサイクルスポーツ
[ 1944年8月31日生/福島県出身 ]

モーターサイクルスポーツの一つである「トライアル競技」を日本で形成し牽引した一人。トライアル創成期は大会に出場する傍ら、講師としても日本各地を訪れ、第一次トライアルブームに寄与した。その後ブームが下火になった後も、その打破のため、世界的に有名な大会「スコティッシュ・シックスデイズ・トライアル」への出場経験を活かし、岩手で「イーハーブトライアル大会」を開催。村おこしにもつなげ、これを手本に各地でツーリングトライアルの拡大と開催地の町・村おこしに寄与した。後進の育成にも力を入れ、長男・匠氏を史上最年少で全日本チャンピオンを、世界選手権で日本人初の3位を獲得するまでに育て上げ、古希を過ぎても現役で大会に出場し、福広い世代に競技の魅力を伝えている。

姫路 麗

姫路 麗ひめじ うらら


ボウリング
[ 1978年3月21日生/大阪府出身 ]

選手として、2000年にプロ入りして以来、2019年にはROUND1 Grand Championship Bowling レギュラー部門において、14年ぶり9人目のJPBA(公財)日本プロボウリング協会)トーナメント通算20度目の優勝と永久シード権を獲得、2021年には全日本女子プロボウリング選手権大会において16年ぶり6人目の通算30度目の優勝という結果を残し、プロ入り後間もなく出産を経た後も、現在まで現役プレーヤーとして活躍を続けている。その傍ら、2016年より同協会副会長となり、障がい者への寄付を目的としたボウリング大会への参加や被災地復興等に向けたチャリティボウリング大会の実施等、スポーツを通じた社会貢献にも尽力している。

増岡 浩

増岡 浩ますおか ひろし


モータースポーツ
[ 1960年3月13日生/埼玉県出身 ]

1987年から2009年まで世界一過酷なラリーと言われるダカールラリーに合計21回参戦。2002年、2003年には日本人として初の2連覇を飾り、所属チームの連覇、通算12勝という記録にも貢献。2012年からは、米国で100年以上の歴史をもつパイクスピークインターナショナル・ヒルクライムに監督兼選手として電気自動車で臨み、選手としては3年連続電気自動車クラスで2位、監督として電気自動車クラスの優勝に導くなど、顕著な功績を残し、モータースポーツの認知度向上に寄与した。そのほか、モータースポーツ活動で得た知見を電動車の開発に活かす等、社会貢献活動にも積極的に取り組んでいる。
写真提供:共同通信社

水谷 隼

水谷 隼みずたに じゅん


卓球
[ 1989年6月9日生/静岡県出身 ]

2004年にドイツ・ブンデスリーガでプレイして以来、長きにわたりプロ卓球選手として活躍し、海外経験も豊富で、様々な功績を残してきた。日本の卓球の競技力向上も目的に2018年に開幕したTリーグには、開幕当初から参戦。初代王者、初代MVPに輝くなど、輝かしい功績を残すとともに、自身の積極的な周知活動によりTリーグの普及に貢献した。2021年には、東京2020オリンピック競技大会で、混合ダブルスにおいて日本卓球界初の金メダル獲得を果たし、Tリーグの価値を示すとともに、人気向上に貢献した。
Ⓒ Getty Images

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